【社畜じゃダメなの?】プロ社畜歴20年が答える「社畜な生き方」の真実

【社畜】という言葉が登場してしばらくしますが、この言葉って、なんの「社会的意義」があるんだろうとよく思います。

例えば、「より自由な生き方を目指すぞ!?」と、反骨精神の糧として、今ある状況からの脱出へのエネルギーにできたヒトにとっては、この言葉に出会えて良かったとなります。

ただ、「自分はこれしかできない、社畜がお似合いである。。」みたいな、行動力が薄い大半の人にとっては、ただの【ネガティブワード】にしかなっていませんよね。

ワタシは、かれこれ20年近くのいわゆる『社畜歴』があります。
いわゆるサラリーマンだった時代も長いですが、個人コンサルとして生きていた時代も6年ほどあります。

そんな中で思うのは、やはり社会や企業との契約形態はさておき、「どういう生き方を求めるか」という自分の目指すものがはっきりしていて、それに向かって【具体的な行動】ができているかどうかが大きな差に感じます。

この、アナタにとって必要な【具体的な行動】をより明確にできてるように、そもそも『社畜ってなんだ!?』をこの記事では明らかにしていきたいと思います。

自分が「社畜な自覚」のある人、なんだか今の働き方にもやもやしているヒトはぜひ最後までお付き合いくださいませ。

◆社畜=サラリーマンという生き方

『2位じゃダメなんですか!?』という往年の名台詞に通ずるところがあるようにワタシは感じます。

応えるとするなら、

【2位は、2位である】

【社畜は、社畜である】

というところでしょうか。

その現象自体は、単なる誰かしらの下した【評価・結論】なのであって、そこに変な固執をして『良し悪し』を語る必要性も、意義も見出せません。

ある時点の『結果や結論』を受けて、【次にどう行動するか】が一番の問題であると思います。

◆社畜であるメリット 

◇責任の大半は「上司」「経営者」にある

基本的に企業とは、組織そのものであり、事業ごとに責任者が置かれているものです。
その組織運営には、成果にも失敗にもその責任者が大きく関わるべきことであり、アナタが責任者でないのなら、そこに文字通り責任はありません。

替わりに、その組織におけるアナタの【果たすべき役割】というものは存在します。
その役割を果たすことこそが、『アナタに給与を支払われる理由』なのです。

もし、アナタの役割が明確にわからないのであれば、そこにいる責任者ないし、らしき人へ
『ワタシのこの組織での役割は何ですか??』と普通に尋ねてみましょう。

ここを、もやもやとした回答しか得られないなら、スッキリ納得できるまで質問してみればいいですし、逆に、いつも「聞いていた内容」な答えであって、それ自体が納得・理解が自分が薄いのであればそこを再度、「こういうところがよくわからない」と聞いてみましょう。

仮に、全部納得理解できたのなら、アナタはスッキリ全力全開頑張れるはずですね。
もしそうでないなら、スッキリ明確な行動指針を出せる責任者に自分がなることを目指すか、そもそも、ここに目指すべきものはなかったと新天地を目指すか、いずれにせよ、次の行動がはっきりするわけです。

◇【スキル】を磨くことに専念できる時間である

先の項で、『アナタの役割』がはっきりした場合、それを実現するための修行・訓練に専念できるのが、今のアナタのメリットとも言えますよね。

組織は「役割分担」して、一人ではできないような大きな仕事も効率的に実現していくのが、一義的な存在意義なのでアナタがアナタの役割を【一流に】こなすことができれば、まずはアナタの存在意義は果たされたことになります。

このとき、役割をこなすのに「何の努力もいらず、今のまま十分果たされる」ような役割であったとすると、ちょっと考えモノですね。なぜならそこで「新たな成長」ができないからです。

こんな『ヌルゲー』な状態であると認識したなら、何かがおかしいので、同僚や上司などに確認をしてみましょう。

ヌルゲー状態を何も考えずに放置して受け入れていると、
・自分のスキルアアップに費やされるべき貴重な時間が浪費されていく
・その時は「楽でいい」と思ったとしても、あとで「何もなさ」に気づいて後悔
・組織から自分が良からぬ評価を受けての結果だったとしたら、対処がとことん遅れる

など、いいことが基本的にありません。

①自分の立場をはっきり認識
②目標を定めて、具体的な行動を積み上げ

こういうマインドはどういう立場においても、しっかり続けたいものです。

◇各種「労働法」に地位や身分が守られている

日本では、基本的に『労働者=被雇用者』が各種労働で守られています。
各種の最低限の権利が認められるほか、保険制度も手厚くなっています。

義務教育などの教育制度も「立派な労働者」になるための教育体系です。
労働における自分の【権利】と【義務】を、しっかり確認してみましょう。
意外と自分が思っていたより手厚い権利に守られているというのがわかるケースが多いです。

ここのポイントは、『もちろん、権利だけ主張していても受け入れられない』ということですね。

一方で、国や法律の指針以下の対応しかできていない職場と言うのもたくさんあるのも知っています。そこは、アナタに戦う余力があるのなら、主張をすれば変わる可能性はもちろんありますし、
そこまでの義務はないなと思えば、そっと離れるのだって一手です。そこまで労働者は自由と思います。

◆社畜であるデメリット

◇所属する「社・組織」への同調はもちろん求められる

社是、社則、いろいろなルールが組織には存在します。それが、鬼畜ないわゆるブラックルールで
ある場合を別にして、なぜそれを求められるかは「組織・集団として動くのに必要だから」となります。

他人の決めたルールが、それが「他人が決めたことだから」というだけで気に入らないのであったり、集団で動くのがどうしても意に沿わないのであれば、「袂を分かつ」というのは選択の一つとなります。

【起業】自体は、今では決してハードルの高いものではありません。
ただ、『労働者だからしょぼい』『経営者が尊い』なんてことは一切ないので、「稼ぎ」「生活様式」「自己実現」など、もっと本質的に自分が求めることを突き詰めることをおすすめします。

◇成功は「みんなの成功」、失敗は「誰かの失敗」となりやすい

これは「組織で動く」というこのと光と闇とも言えます。
役割を先に分けてしまうのが、組織の在り方なので、その延長線上にある成功も「組織のみんなで」分けられて享受します。

「弱きを助ける」には、いいあり方と言えたとしても、「強きに負担」はどうしてもあるという仕組みです。

成功したときにはまあ、分かち合うのはわかるにしても、逆に失敗した時には風土が悪いと「犯人捜し」が発生することがあります。これはちょっと質が悪い結果になりやすいので注意ですね。

ちなみに、仮に経営者になって、いろいろに広範な裁量を得たとしても、この【人間関係・対人スキル】という部分はいろんな場面でぶつかることになります。

なぜなら、現状の人間社会というのが、【完全なる孤独】で生きられるような仕組みにはなっていないからです。

◆『社畜じゃダメなのか?』の答え

社畜=雇われる生き方 という定義だった場合、これはまさしく【手段の論評】ですね。

であれば、【目的】について議論や設定をせずに、この【手段】だけ論じていても意味はありません。

というのが、ワタシからの結論であり、これから考えるべき事項の提案です。

あなたはどういう人生を目指したいのでしょうか。何を実現したいのでしょうか。

それがあって初めて、手段である働き方を吟味できると思います。

また、そこまで信じて頑張ってきた何かがあったとして、人生の途中で目標を変えちゃだめだというルールも法律もまたありませんね。

これから就活だ!と言うヒトも、転職しようかな・・と考えているヒトも、その希望の先が自分にとっても目的を果たせるような場所なのかどうかをしっかり吟味してみるといいです。

就職や転職活動も、仕事内容や報酬額だけではなくて、「他に自分が重視することは何か、それはそこでも得られるのか」を面談時にでも聞いてみるのがいいでしょう。

「楽して、儲けて、ボケっとしてたい」みたいな、極端な独善的な話でもなければ、真摯に答えてくれる相手のある先と言うのが、いい職場になりうるでしょうね。これは、転職等に限らず、今の職場で話をしてみるのにも有効と思います。

普段しないような話をパッと振ってみて、どういうリアクションがあるのかもまた、自分にとって
いい刺激となる可能性があります。

なんにせよ、『目的意識を持って、行動しましょう!!』

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